その蟹 とても美味しそうですね

 

褒めるのが苦手だ。

それすごく素敵ですねって一言伝えるだけでも、お前みたいなやつにこの良さがわかってたまるかとか、うわそんな細かいとこ見てんのかよキモ…とか思われてたら地獄だし、褒めようとして逆に気に触るようなこと言っちゃって傷つけるなんてとても簡単だ。

だったら黙っていた方がいい。…とも割り切れないので苦しい。美しいものに美しいと言いたいじゃないか。

褒められるのも苦手だ。

すごくうれしいけど、褒められた時 咄嗟に返せる語彙がえへへとうふふしかない。語彙と呼ぶのもあほくさい。

叱るのは……叱ること自体あまりない。周りが後輩だらけの学生バイト時代でも、あれやってこれやってとちまちま指示は出すけれど、ほとんど叱ったことはない。強いていえば一度だけ本気でありえないと思ってきつめに注意したけれど、それで年下の女の子を泣かせてしまったので、それっきりもう絶対に叱らないと決めた。あの子の潤んだ目が忘れられない。

叱られること、これが一番苦手だ。人が叱られている場面を見ることすら負荷だ。

人から叱られる時、その人が口を開いて話し始めたコンマいくつの時間に、「ああ、来るな」というのがわかることがある。気がする。あのスローモーションで絶望していく瞬間、を、集めて凝縮した地獄とかがあってもおかしくないと思う。

基本的に、叱るとか、褒めるとか、評価を相手に伝えることは相当難しいけど、それでも私にとっては、いい事にしろ悪いことにしろ、それらを受け止める方がもっと難しい。

 

今日、先輩に顧客対応での言葉使いについて注意を受けた。

「無意識で出ちゃってるのかもしれないけど、ここの言葉使い直しましょうか。相手はお客様だから、正しい言い回しをしてほしいです。」

お叱りとも言えないような穏やかな指摘に、ひきつった顔で、できるだけにこやかに、わかりました。次から気をつけます。と返したと思う。でも、ぐるぐると渦巻き始めた思考が止まらない。私の育ちが悪いから、人格が善良でないから、社会経験が浅いから、ビジネスの場での常識を弁えられていないから、だから無意識に口をついてこんな言葉が出てきてしまうんです。育ち直したい。生まれ直したい。来世から気をつけようと思います。 ……

ほんとうに面倒くさいこの脳みそは、ちょっとの指摘でも人格をすべて否定されたような形に歪んでしまう。というか、相手の言葉を頭が勝手に膨らませていて、ありもない裏の裏の真意まで探っては自分で自分を攻撃している。

 

気味の悪い薄ら笑みですみません、気をつけますと繰り返す妖怪に、先輩が小声でこう続けた。

「その言い方、俺は好きなんだけどね。」

……その言葉は、私が丁寧に丁寧に育てあげた自己嫌悪の樹が生い茂り枝枝には否定の言葉と羞恥と塵みたいな自尊心が引っ絡まりもう収拾がつかなくなっていた私の心に、びっくりするくらいすんなりと入ってきた。ブラックコーヒーにミルクを一滴垂らしたかのような、じんわりとした乳白色。コーヒー飲めないんで、この比喩は今適当に描きましたが。

 

言葉は本当に厄介だ。

話し手と受け取り手それぞれに別の価値観や捉え方があって、70数億人×70数億人とおりの言葉のキャッチボールがあって、成り立ってるんだ。私は関わる人全員と上手くキャッチボールをしようとして日々勝手に磨り減っているけど、そんなことは無理なんだな。絶対に無理。

「俺は好きなんだけどね。」若手の上司が敷いてくれたこのクッションも、たまたま私にとってはあたたかかったんだ。

うーんなるほど。この注意の仕方、いいなあ。次から使わせてもらおうかな。

と思うと同時に、この優しい真人間の、叱られただけで目をぐるぐる回している妖怪に対する気遣いが、少し痛かった。